49th meeting
「美〜アンコール〜」
Core Talk Cafe meeting

テーマ選択の背景

今回はアンコールテーマということで、2013年3月に開催された哲学カフェのテーマ「美」。
自分が美しいと思うものを挙げてくださいと言われたなら、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。芸術作品、自然、人間、自分が大切にしているもの、目に見えないもの。まだまだありそうです。
では、みなさんが思い浮かべた美しいものたち。それは果たしてみなさんにとって必要なものでしょうか。そして、何をもってそれらを美しいと感じることができるのでしょうか。
美の必要性や定義、感じ方や居場所について対話できたらと思い、このテーマを再び選択しました。

   

当日の様子

「美」は私たちにとってとても身近なもの。まず、みなさんに最近美しいと感じたものやことをシェアしていただくところから始まりました。話題のタレントさんの名前を出す方もいれば、海外で見た夜景が美しかった、数学の証明が美しかったというなど、様々な美の対象がありとてもバラエティ豊かでした。その中で、そうした多様な美の体験は他のものとの比較によって得られるのだろうか、それともそれそのものとして美しいのだろうか、という議論が起こりました。比較によって得られるのであれば、その比較のためのものさしが必要であるし、そのもの自体が美しいと言うにしても、美を感じる主体の側にそのような判断をするための基準が必要なのではないか、そのようなところから、美を判断する基準の話へ移りました。日本語では「美しい(beautiful)」と「きれい(clean)」を同じように使うというような言葉の使用の話も含めながら、「シンプルさ」、「ムダのなさ」といった美の対象側の性質に対応する基準から、「欲求するもの」といった認識側の在り方に関するものさしまで様々な基準が吟味されました。
後半は、そのような多様な基準は一般的に当てはまる定義にできるのだろうか、という問いのもとで、「美」の一般的定義を求める議論へ移りました。「美的体験は日常に埋没しているところには無い」や「美は何らかの快さをともなう」などの美の条件をひとつひとつ吟味しながら、一歩づつ前に進んでいきます。その一方で、美はそもそも定義できないものなのではないか、という疑問もあり、定義とは何かを考えなおす非常に哲学的で「メタ的な」対話もありました。そのような抽象的な議題と具体的な美的体験の実例を何度も往復していたところで今回も時間終了です。行ったり来たりする哲学の性質がとても強く現れた対話でした。いつもどおり、「美」に関する問いとモヤモヤは日常へと延長されます。
   
Core Talk Cafe digest

Digest of digest

「美は定義できるか?」
「美は善いものか」
「美的体験は快楽をともなうか?」
「美的体験はどのように日常から浮き彫りになるか?」

Book Guide

『美と崇高との感情性に関する観察』 イマヌエル・カント『美と崇高との感情性に関する観察』(岩波文庫)
イマヌエル・カント
岩波文庫

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