38th meeting
「子ども」
Core Talk Cafe meeting

開催場所

喫茶茶会記(四谷三丁目)

参加者数

11名(運営スタッフ含まず)

テーマ選択の背景

第38回目のテーマは、「子ども」。「おとなのための哲学カフェ」であるコアトークカフェに集っているみなさんは、「子どもではないおとな」であるはずですが、はたして本当にそうでしょうか?

当日の様子

  今回は「子ども」という言葉に対し、どのようなイメージがあるのかを出していきました。「自由奔放」というイメージもあれば、「変なこだわりをみせる」というものも。「無邪気だけれどもきつい時もある」と子どもの性質を挙げた方もいれば、「誰しもが子どもだったということは不思議なことだ」と、改めて私たち人間の必ず通過する「子ども」性について立ち止まる方もいました。色々と意見を出し合っていくうちに、「子どもは視野がせまい」という一つの定義を主として議論が進んでいきます。おとなは知を身につけて行けばいくほど、自らの人生の選択肢が拡がり視野が広がっていくが、子どもは選択肢が少ないとのことでした。さらに、「子どもは他者の視線を考慮にいれない」ということにもつながっていきます。おとなは他者からのまなざしを意識し、自分がどう動くべきかを考えられるのに対し、こどもはそうではない、などです。しかしここで気がつくのは、わたしたちは「子ども」について話していたはずなのに、いつの間にか「おとな」について対話をしていたことでした。迫ろうとすればするほど、「子ども」は「〜ではない」という否定する形で現れてくる、不思議な存在であることを共有しました。
 休憩を少しはさみ、再び前半部のように、ただし先ほどの議論を踏まえた上で、子どもについてどのようなイメージがあるか、伺ってみました。「子どもに肯定的なイメージがない」「未熟の代名詞のようだ」という意見に対し、「むしろ子どもは可能性である」「社会の規定や決まり事を逃れ出るという存在の凄さ」を積極的に捉える方もいました。また、おとなは自らを「おとなである」と掲げたときに「おとな」になるのであって、子どもはそもそも自らを規定するということをしない、という考えもありました。それならば、コアトークカフェで「子ども」とは何か、そして「おとな」とは何かと対話するわたしたちは、必然的に「おとな」であることになるかもしれない、というところで今回も時間により終了です。「子ども」の対として「おとな」が積極的に話題にのぼり、むしろ気がついたら「おとな」について、より深く考えている事態が印象的でした。
Core Talk Cafe digest

Digest of digest

「子ども」ってなに?
「おとな」は「子ども」に戻れるの?
わたしは「子ども」?

Book Guide

『〈子ども〉のための哲学』 永井 均『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書 )
永井 均
講談社現代新書 1996

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