Core Talk Cafe meeting | |||
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開催場所 |
喫茶茶会記(四谷三丁目) | ||
参加者数 |
6名(運営スタッフ含まず) | ||
テーマ選択の背景 |
第35回目のテーマは、「責任」。テレビをつければ「責任をとって辞任する」場面を目にすることが多い日々、私たちは「責任」が何なのか、そしてなぜやめなければならないのか、本当にわかっている、もしくは考えたことがあるでしょうか? | ||
当日の様子 |
今回のコアトークの参加者はなぜかほとんどが男性。一般社会において男性の方が「責任」という言葉が身近なのかもしれませんね。まず「責任をとってやめます」ということは、何をしていることなのか?というはたらくおとなからの意見からスタートしました。そこから「連帯責任とは何か?」「責任者が代わりに責任を引き受ける、とは何か?」という実社会的な観点からの議論に展開していきます。「責任をとる」ことで何が起こっているか、という問いに対して、同等の損害を負わせるといった尺度は存在しない、ここで本質なのは皆の溜飲を下げるために生け贄を差し出すということである、といったシビアな意見が出ました。さらに、「責任をとる」ことの二つの目線が出てきました。一つは過去目線、怒っている人に対して生け贄を差し出す行為、辞任などです。二つ目は未来目線で、これから何かを創っていくような、関係性を再び構築していくような状態があるのではないか、ということです。そのまま死刑制度について言及した方もいらっしゃいました。また、子供は責任をとることができるのか、といった責任能力の話題にも触れました。子供に責任を負わせることはできないという意見の中、負わされる責任と、持っている責任という二種類の責任のあり方があるのではないかと整理されてきます。負わされる責任というのは、役職であったり権利に関わるもの。持っている責任というのは、個人の内的な感情、責任感といったもの。「責任」は社会が円滑に進むための「取り決め」であると考えた方は、個人の内的な感情である責任感も、親の教育であったり社会の仕組みという外的権威が内面化したのではないかという意見を出して下さいました。またそれに対して、「責任感」という自身の奥底から湧き上がる良心のようなものをイメージする方もいらっしゃいました。試行錯誤する中、結局「責任」というものは、他者とのかかわりの中でしか生じることはないのではないか、という一つの結論に至ったところで、いつものようにお時間となりました。 | ||
Core Talk Cafe digest | |||
Digest of digest |
「責任をとる」とはどういうこと? 責任感のある人ってどんなひと? 子供は責任はとれるの? |
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Book Guide |
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